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  各分野でご活躍中の同窓生の様子をお伝えします。
 
 
[008]  山口 治男 さん(高17期)
(取材日:2004年6月19日)
 
 
プロフィール
   


1959年 横須賀市立田戸小学校卒業
1962年 横須賀市立常葉台中学校卒業
1965年 神奈川県立横須賀高等学校卒業
1969年 東京工業大学卒業(理工学部電子工学科)
1971年 東京工業大学大学院修士課程修了(電子工学専攻)
1971年 日本電信電話公社(現NTT)入社 電気通信研究所配属
1979年〜1980年 ニューヨーク市立大学 客員研究員
1986年 NTT通信網第1研究所 伝送網制御システム研究室長
1992年 NTT伝送システム研究所 伝送処理研究部長
1996年 NTT通信網総合研究所 主席研究員
1999年 東京工科大学 メディア学部教授
2003年 東京工科大学 メディア学部長・教授
現在に至る

東京都練馬区石神井台に在住。

 
 
<東京工科大学を訪ねて>
 

《八王子みなみ野駅に降りてスクールバスのターミナルに着いたとき、その本数の多さに驚きました。後で伺うところによると、日中でも3分おき。朝は同時に2〜3台が来るということです。また、駅のすぐ前の建物は大学の学生寮だそうです。

 さて、八王子みなみ野駅からスクールバスで約7分。バスを降りると山口先生自ら出迎えて下さいました。まず学部長室で少しお話を伺った後、カフェで昼食をとりながら大学についてお話を伺いました。その後、緑豊かな広大な敷地と最先端の施設が美しく配置された校内を車で案内していただき、再びお部屋に戻り取材の続きとなりました。》

 
 
◎東京工科大学について
 

 東京工科大学は1986年に工学部をもって開学した大学です。その母体は1947年にスタートした専門学校で、つねに時代を見据えた改革を進めています。1999年に工学部に加えて、日本初のメディア学部を新設し、2学部体制としました。2003年にバイオニクス学部・コンピュータサイエンス学部を新設し、既存の工学部を廃止して3学部体制となりました。このように新しい学問分野の台頭に積極的に対応し、新規分野の開拓と社会に貢献できる人材の育成を目指しています。メディア学部は理系・文系・芸術系の協働を目指し、2005年度には大学院の改革も予定しています。

 特色としては、『問題発見・解決型教育の導入』『大学院は複数の専門分野を有するダブルメジャーをめざす』また、『産業界、社会のニーズを踏まえた改革を展開し、産業に役立つ研究をめざす』ことを挙げることができます。

 こうした特色により、他大学、海外からの視察が急増しています。特に、2003年に完成した“片柳研究所”はレベルの高い産学官共同研究を実施していて、私立大学としては初めての政府関連の産業総合研究所リサーチセンタが設置されています。

 ○メディア学部とは?

 ロングマンの英語辞典には、『メディア』とは、“新聞・ラジオ・テレビのこと”と書かれています。一般的にはそう捉えられることが多いのですが、その一方で、フロッピィディスクやCDなどもメディアと呼んでいます。また、ある人が「孫と手紙をやり取りし、孫をメディアとして生活を楽しんでいる。」というような言い方をする場合さえあります。その場合は“媒体”あるいは“手段”という意味で使っているのですね。

  しかし、“メディアとは何か?”という議論をしても非常に幅広いのでほとんど実りはないでしょう。大学でメディア学部というものを創った場合、学問領域としてどういう研究対象をどういう風に攻めるかということが重要だと思います。

  私たちがメディア学部を創ったときは、ITやインターネットの時代になって何かが変わりつつあり、一番影響を受けているのは、『メディア』ではないかと考えました。映画の映像が今やディジタル技術で作られるようになって、様々な作品が生まれています。最新の技術は人間の表現やコミュニケーションの変革を通じて人間生活に大きなインパクトを与えています。そこで、最新技術をベースとする表現とコミュニケーションの領域を取り上げ、技術的な視点に加えて人間・社会との関係という視点から研究・教育を行おうと考えました。

  本学のメディア学部は理系に分類されていますが、メディアを技術からのみ捉えるのではなく、コミュニケーションの道具あるいは表現の手段として捉えています。そのため、コンテンツ制作、それを生かすビジネス、またそれらが人間に与える文化、法律、制度なども重視したいと考えました。本学のメディア学部は、技術・コンテンツ・ビジネス・組織・社会まで捉えるため、多様な専門分野の先生が集まっています。

 

 ○大学と専門学校が併設

大学と専門学校が併設されていますが、日本電子工学院専門学校(蒲田校)、日本電子工学院八王子専門学校(八王子校)、日本電子工学院北海道専門学校(北海道校)の3つがあり、八王子校が本学と同じキャンパス内にあります。

 本学のキャンパスは、芸術家でもある理事長が理想的な環境の大学を作りたいとの構想でキャンパスのデザインも20年以上前から作り上げてきたものです。

  専門学校には、技術・芸術・体育・各種の職業教育も含んだあらゆる分野があります。メディア学部は専門学校との連携も重視していて、専門学校からの推薦入学や編入学の制度もあります。八王子キャンパスの学生数は8,000人(専門学校4,000人、大学4,000人)を超えています。

 

 ○先進的な設備に加えて庭園もあるキャンパス

 学内の施設についてお話ししますと、キャンパスの建物はデザインが統一されており、本部棟、厚生棟、図書館棟、研究棟、講義実験棟、体育館、メディアホール、美術館等の色々な用途の建物がありますが、全て調和した雰囲気を保っています。最近新築された“研究所棟”と“フーズフー”という名前の南欧風の建物が目立っています。フーズフーの前にはヨーロッパ風の庭園があり、日本建築の美術館の前には日本庭園があります。

 大学での大きな課題の一つに、8000人という大勢の学生の食事などを提供する厚生施設の整備があります。これが貧弱では、楽しい学生生活は送れません。

 そこで、厚生棟の2、3、4階はすべて学生食堂となっていて、それぞれが一味違った食事を提供しています。他にも、南欧風の建物“フーズフー”は2階が洒落た食堂テラスとなっており、ドトール、吉野家、一口茶屋など外の業者が入っていて、色々な食事を楽しめます。

 「フーズフー」の1階にはブックセンターとコンビニ(サンクス)があります。このサンクスは床面積が日本最大のコンビニとの噂もあります。昼食にお弁当やお握りなどを買い求める学生も沢山います。学内の別の場所にはマクドナルドが大きな店舗で営業していて、学生には人気のランチスポットとなっています。また、本部棟には、池を見ながら食事ができる職員食堂があります。ここは主に教職員用の食堂ですが、学生が利用することもできます。

 

 
 
<見学感想>
 

 
   《ここで昼食に行きました。昼食後、学部長の自家用車に乗ってのキャンパス巡り、途中歩いて施設内の見学をしました。以下、私たちの見学感想です。

 全ての施設が最先端のように感じられましたが、対照的にキャンパス内に造られている日本庭園と日本建築の美術館は、落ち着いた美しい景観を見せていました。また、本部棟の壁面には元々は芸術家で、日展で受賞したこともあるとお聞きした理事長が描かれたとても大きな絵がかけられていました。

を学生が掃除をしている光景を見ました。学生に学内のアルバイトを色々と斡旋しているそうです。清掃のアルバイトもその一つです。これは、学生に学業に支障の出ない身近なアルバイトを提供し、経済的な支援をすることが目的だそうですが、それに加えて、自分たちが清掃をすることで汚さないという意識を高める効果もあるそうです。高学年の学生には、授業のティーチングアシスタント等の仕事もあるそうです。

 講義実験棟という建物には4階にわたっていろいろな演習をやる演習室があり、すばらしい演習設備があるのを見せていただきました。また、体育館、テニスコート、プール、グラウンドからフィットネスセンター、ボーリング場等の体育施設までありました。

 グラウンドはサークル棟に面していて、グラウンドとのレイアウトが素晴らしいものでした。サークル棟といっても、名前からはイメージできない規模の大きいものでした。》

 《研究室のある建物にあった飲み物の自販機は人を関知して、照明などのスイッチが入るようになっていたのには驚きました。  研究棟では、卒研でコンテンツ音楽をやっている学生がピアノを弾いていました。普通の理系の大学では考えられないことです。》

 
 
<先進的なメディア・ネットワーク環境でした>
 

   《500〜600人の学生に授業ができ、その授業を録画できる施設(レコーディングセンター)が備わっていて、山口先生の授業はここで行っていらっしゃるそうです。レコーディングセンターでは、学内のいろいろなコンテンツを収録・保存し、ネットワークで配信しているそうです。

  山口先生の予定はすべてPCで管理していて、web上で他の職員、学生もみられるようにしているとのことです。また、先生の授業はすべてアーカイブされていて、誰でも後で見られるようになっています。

 メディア学部の授業は、400人を前にしての授業から10名程度の卒研生まで規模は色々とあるそうですが、学生はすべてノートパソコンを文房具のように使いこなしているそうです。学内の各机にはノートパソコン用の情報コンセントが設置され、インターネットに接続できます。学生は入学時に全員ノートPCを購入して、授業を始めいろいろなことに使用しています。そのメンテナンスのために、PC相談カウンターが「フーズフー」の1階にあり、ここは100メガという高速で快適にインターネットに接続できるネットカフェにもなっていました。学生は下宿やアパート、家にいるより快適だろうと思います。

  授業の出欠、質問、レポート提出などもネットワクを使ったシステムで行っているそうです。また、匿名で教員の授業を評価するシステムも使っているとのことです。

 研究棟には、産総研(産業技術研究所)のセンターが入っているので、そこの職員も来ています。私立大学で国の研究所のセンターが設置されたのは日本初だそうです。

 ここの高層階の窓からは芝生に置かれた馬のブロンズ像を見ることができました。》

 

 ○学生による授業の評価 

  本学では、学生による授業評価を全ての授業で行っており、その評価はパソコンを使って匿名で行われます。メディア学部では全教員の評価データはアゴラで他の教員に公表されます。

 試験で甘い点を付ける教員には学生から良い評価が、厳しい教員には悪い評価が付けられるのではないかという意見が当初はありましたが、実行に移してみた結果では、甘く易しすぎる授業も難しすぎる授業も評価は悪く出ました。学生にとって、ちょうどよく理解でき、満足できる授業の評価が高いという結果が出ました。

 中には、5点評価で全ての項目に「1」をつけるようないい加減な評価をする学生が何人かいますが、それは授業全体の評価にはほとんど影響しないこともわかりました。評価はだいたい3.0付近に集まり、3.7以上だと「なかなかいい授業です」。3.0未満だと「授業に何か欠点があります」という感じです。4.0以上というのはほとんどありませんが、受講生が10人程度の体育などではこういう評価を受けることもあります。

 

 ○授業の改善には発声練習も  

  集計されたデータは会議で公表されます。教授会で全員の評価一覧表を出すけれども、コメントはしないことにしています。各教員に配布される評価シートには、点数だけでなく、例えば、教材が工夫されていない、声が聞き取りにくい、熱意を持って授業をしていない、レポートの問題が難しすぎる等の学生のコメントがあげられているので、各教員が自分の授業の改善に役立たせることができます。教員はそれを反省材料にしています。授業も公開されていて他の先生の授業を見ることができ、改善に役立っています。

 自分が予想したとおりに評価結果が出てきます。自分が悪いと予感したところは、学生は正直に悪く評価します。工夫したところ、自分が改善を心がけたところは良くなっているのです。こうして毎年改善されてきて、全体で評価は年々良くなってきています。

  《山口先生自身も「授業の声がこもって聞き取りにくい」「聞いていると眠くなる」と学生に書かれたことがあり、収録ビデオで確かめてみたら確かにその通りでしたので、ハリのある声にしなくてはと思い、発声練習をしました。口をはっきり開けるとか、母音の発音などに気をつけた所、次の学期の授業では「先生の授業は、大変聞き取り易くて良い。」との評価を得られたとのことです。》

 

 ○授業の公開  

  かつて、大学では他の教員の授業を傍聴するのは、その先生に了解を得るのが慣習となっていて、余り歓迎されませんでしたが、メディア学部では、教員は他の教員の授業を自由に見ていいことになっています。したがって、教員は常に誰かが見ていることを意識して、また学生が評価することを前提に授業をすることになるので、かなりきびしいといえます。こうしたことには多少のプレッシャーは感じるでしょうが、改善に努力していれば何も問題はないはずです。

 
 
◎東京工科大学に移ったきっかけ
 

 NTTの研究所は伝統的に50才前後に退職して再就職する方が多いですね。その時のひとつの選択肢が大学に再就職して教員になることですが、ただ、大学に再就職する場合、その前から長い時間をかけて、学位を取る、論文を書く、専門領域を明確にするなどの準備が必要です。

 50才を間近に控えた頃、大学に移ることを考えました。ちょうどそのころ、今いる大学がメディア学部を作るので教員を募集していたので応募しました。NTTをやめたら教員をやりたいと思っていましたが、もともと人に教えることが好きなんですね。

 ただ、50才過ぎてからだと余生の仕事という感じになってしまうので、50才以前に転職したいと思って探していました。決まったのがちょうど50才の時で、2年後メディア学部開設と同時に移りました。今年で6年目となり、58才となりました。

 

 ○学部長へ

 前任の学部長が東京都三鷹市の市長に立候補して退職することになって、その後任として学部長に選ばれました。大学に来て管理業務はもう余りやりたくなかったので、断ったのですが、許されませんでした(笑)。大学に移る前は企業にいたので、組織がうまく回るにはどうしたらよいかというようなことを知らない間に身に付けていたようで、そのようなところが買われたのだと思っています。 この3月、前任者の1年間の残任期間が終了し、改めて、2年間の任期で学部長に選ばれました。

 

  ○学部長としての仕事

 学部長を実際に務めてみて、予想していた以上にいろいろな仕事がありました。学部をまとめることや学部がマンネリ化しないように工夫することが第1の仕事です。学部をどっちの方向に持っていくかということを考えることが一番大切なことですね。それにしたがって、教員の採用などを行います。教員の管理、ヤル気を起こすような努力、人事も大きい仕事です。その他に日常的に、入試関係、カリキュラム関係、卒業・就職関係など何から何までやります。あとは大学全体の運営関係の会議が多いですね。

 学生を教えて研究したいと思っていましたので、学部長の仕事だけだと学校へ来た意味がないので、授業も持ち、卒業研究や大学院の授業など、学生に接する機会を多く持つようにしています。必然的にさらに忙しくなり、土日に出勤することも多く、学期の途中では休日も忙しく働いていることが多いですね。空いている日は月2回ぐらい。そういうときは、昔からの仲間とゴルフに行ったりすることもあります。

 

  ○意識改革

 教員の意識改革はとても大切ですね。以前は教授会が多くの決定権を持っていました。したがって、教授会で教授が一人でも反対すると何も進まないということがありましたが、今はそういうことが完全になくなりました。そういう面では、物事がスムーズに進むようになりました。従来の教授会の代わりになっているのが「アゴラ(教育研究集会)」というユニークな会議で、全教員が参加して何でも議論しますが、決定権はありません。

 アゴラでは何でも発言できます。言いたい放題言っても最後にはまとまるし、不満も残らないで合意が形成されていきます。ここで、皆の意見を吸収して、それを学部運営委員会に上げて効率的に物事を決めていきます。

 

 ○全てトップダウンで決めるということではないのですね?   

 違います。もちろん、トップダウンのものもありますが、意見を吸い上げて、効率的に物事を決めています。

 「授業の評価」については、「評価の低い教員は、反省と共に授業の改善計画を提出させてはどうか」というような厳しい意見もありましたが、そんな必要はなく、各自自分の授業評価を公開されるだけで効果が現れます。他の教員のものも見て、自分の授業を考えるという伝統が続いています。

 また、逆に、学生による授業の評価の公表について「効果がないので公表を中止する」という意見も出ましたが、再検討をお願いしました。こうした元に戻ろうとする力がローカルには働くことがありますが、まあ、わかってやっている部分もあると思います。このようなことでメディア学部はなかなかうまくいっています。

 《この部分ではある意味、トップダウンといえるでしょう。ハード面は大学の施設を見学することで知ることができますが、ソフト面については、こうして話を聞くことで初めてわかることが多いとつくづく感じました。》

 
 
◎学生時代は
 
 

   常葉台中学出身です。中学入学時は不入斗中学で、途中から3つに分かれて常葉台中学に移りました。中学校では生徒会長をやっていました。そのとき、各学校の生徒会執行部が集まるリーダースキャンプを参考にして「全校で学校に泊まろう」という企画を立て実行しました。実行委員を集めて進行を相談したり、床にゴザを敷いたり、ふとんを借りたり、キャンプファイヤーをしたり、3日間学校に泊り込んだのが良い思い出です。

 リーダースキャンプで知り合った他校の生徒の何人かが偶然にも横高に入学したら同じクラスになりました。

 横高に入学してからは1年間弓道部に在籍しましたが、先輩の練習に対する方針で意見が合わずに辞めてしまいました。その後は、受験勉強をしなくてはと思い、2年生からは勉強に専念しました。夏休みに教室で問題集を解いていたという記憶が残っています。皆で塀をのり越えて佐野のバス停そばのタンメン屋さんへ食べに行ったことがありますね。あとは受験勉強していたのかな・・・?  仲間に会うといろいろ思い出すのでしょうが・・・。

 

 ○東工大進学のきっかけ

   下町に住んでおりましたので、横須賀中央から通える場所にある月謝の安い公立大学の工学部を探し、担任の福田先生に相談しました。「東工大はどうですか?」と聞きましたら、「ま、大丈夫じゃない!?」とおっしゃったので「じゃあ、そこにします」って決めました(笑)。

 何の疑問もなく入ったけれど、楽しかったです。中学の時は何だかも知らないで「数学者になりたい」と思っていたし、高校では「物理学者になりたい」と思っていました。

  大学に入って、仲間から「物理では食えない(就職先がない)よ」と言われ考えた末、当時比較的新しい電子工学に行こうと決めました。

 研究室を選んだ理由は、「卒論でできるような簡単な問題は無いので絶対来ないように」という教授の説明がユニークだったから・・・!?

 
 
◎NTT入社と思い出
 

 NTTに入った時、「本社事業部に行く気はないか」と言われましたが、研究所に行きたかったので断りました。何かディジタルをやっている所はないかと尋ねたところ、伝送システム研究所がディジタル伝送をやっているということでそこに入りましたが、当時はハンダごてで回路を作ったりしました。「これってディジタルですか?」と上司に聞いたら、「上を飛んでいるのはディジタルだが動かしているのはアナログなんだ。しっかりやれ!」となんだかわけのわからないことを言われ、やっているうちに面白くなりました。

 ちょうどその頃、片付けものをしている時に中学時代の文集が出てきました。それには「将来は大きな研究をやる国の組織のような所で世の中の役に立つような研究をやりたい」と書いてありました。気がつくと「あれ!?今NTTにいる!」。その時々で気持ちは変わってきたように感じていましたが、小さい時感じていた通りに人間は道を選択していくものなんだと思いました。入社のきっかけは深層心理の中に子供の頃の想いがあったことと、奨学金をくれたことですかね(笑)。

 武蔵野の研究所に入社して2年目に横須賀武山の新しい研究所に移り18年、そこでホームページ委員長(里見氏)のお世話になったこともありました。それからまた武蔵野へ移って退社後、東京工科大へ移りました。

 小泉ファンで、総理が郵政大臣だった頃、通研を訪問された時一緒に写した写真は宝物として大切にしています。(最前列右から2人目が山口先生)

 

 ○ニューヨーク市立大学客員研究員として

 NTTには留学制度があって、1年間研究員としてアメリカの大学でデジタルネットワークの研究をしました。仕事が忙しい時で準備もろくにできず、とりあえずニューヨークへ行きましたが、知らない所で住まい探しから何から全部自分でしなければならず、大変でした。

 一月後に生活の準備も整ったので、妻と二人の子供(6歳の娘と2歳の息子)も来て一年間米国の生活をしましたが、一年ではやはり不十分でした。仕事の合間を見つけて、よくミュージカルやコンサートに行ったり、郊外のピクニックなどを楽しみました。

 
 
◎メッセージ
 

 よく学生に言っていることですが、「いつになっても初心忘するべからず」「何かにチャレンジし続ける気持ちを忘れないようにしなさい」ということ、とにかく新しいことにチャレンジしなさい。一生懸命頑張ることが大事です。

新しいことをやるのが嬉しいという気持ちを大切に、与えられたチャンスをチョイスして、その時その時に自分にとってチャレンジする価値のあるものを見つけ、続けていくのが良いのではないかと思います。

 今どきの学校教育の中では、よく「やりがいのあることを見つけなさい」と言われていますが、就職先を探す時には「自分がやりたいことを見つける」ではなく、「世の中が自分にやらせてくれることは何か」をよく考えることが大切なのです。「やらせてくれることが存在するように、今やっていることを一生懸命やりなさい」ということですね。

  ○理科離れについて 

 《最近よく、「理科嫌い」「理科離れ」という言葉を聞きますが、本当にそうでしょうか?》 みんなが理系である必要はないと思いますが、理科に関心のある人、理科が好きな人はたくさんいると思います。そう言う気持ちを大切に伸ばしてあげれば良いと思います。問題は、職業を選ぶと言う将来選択の観点から理系を避けている気がします。理系を出たらお金持ちになるというイメージができれば良いのかもしれませんね。             

 
 
取材後記
 

 東京工科大学の改革は、他大学や産業界からの注目が高く、海外からの視察もあるということで、大学や学部の様子の紹介を織り混ぜながら構成してみました。

 広い敷地に最新設備の整った建物、特に先進的なネットワークが整備されたメディア環境のキャンパスだけでなく、各所に飾られた素晴らしい美術品の数々、和風庭園、書店、日本一広いコンビニ、オープンカフェ、食堂等の厚生施設も充実しており、大学のキャンパスというより、どこか外国の美しい街といった感じ。取材を忘れてカメラに夢中になることも・・・

 また、わかりやすく楽しいお話を伺い、想い出に残る楽しい1日となりました。貴重な休日を私達におつき合い下さいまして、本当にありがとうございました。

 

取材日 2004.6.19
担当者 鈴木宏之(高11期) 石渡明美(高23期) 青木隆道(高28期)

 

 

 
 

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