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| 各分野でご活躍中の同窓生の様子をお伝えします。 | |
| [005] 小柴 昌俊 さん(中32期) | |
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◎プロフィール
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受賞歴
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| 〜インタビューまでのエピソード〜 | |
夕方になってノーベル賞受賞との大ニュースが飛び込んで来て、納得しました。 当日は、インタビューは無理とは思っていましたが、念のために東大安田講堂の裏にある素粒子物理国際センター行ったところ案の定、記者会見の準備で大童の様子…。 やはりインタビューどころではありませんでした。 |
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それからの小柴さんは、連日大忙しの日程で、文字通り身体の休まる暇もないご様子で、やっとお時間を戴けたのが、2003年1月31日でした。小柴さんのいらっしゃる素粒子物理国際センター前の庭にはノーベル賞受賞の記念碑が設置されており、受賞内容が写真入で解説がされてあった。 小柴さんのお部屋には、実験用の簡単な装置があり、今も何か研究されておられるご様子でした。<「秘密です!」と内容は教えていただけませんでしたが…> また、昨年の流行語大賞「ダブル受賞」の盾など各種の賞のトロフィーや盾が飾られ、その中で愛用のゴールデンバットを吸いながら、インタビューに答えていただきました。 今回のインタビューは、先生の業績については、テレビ、新聞等で充分ご紹介されているので、特に横須賀時代のお話、若い人達に対するお話を中心にお伺いした。 |
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| ◎横中時代の小柴さんは? |
| 当時はどこにお住まいでしたか? |
“横中には最初はバスで通ったが、2学期になって小児麻痺になり、バスのステップが上がれなくなり、しょうがないから、ゆっくりと、のたのたと、歩いて通いました。” “1年後くらいに父が満州から張家口(ちょうかこう)への転任になり、母と兄弟が帰って来ました。その時に公郷に家を借りて一緒に住みました。公郷駅(現・安浦駅)と堀の内駅の丁度中間辺りですね。” “横須賀にはその他、父の兄が大黒屋をやっていました。今でも私の従兄弟の子供がやっていると思います。” |
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| その頃の学校生活は? |
“朝が、8時から始まって12時までの4時限かな、午後は2時限で終わりでした。”
“クラブ活動は剣道部に入ってましたが、半年後に病気になり当然やめました。そのあとは別に部に入っていませんでした。”
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| 病気で長い間お休みになられたのですか? |
| “だいぶ休んだのでね、2年生になれるかどうか危なかったですけど、担任だった数学の先生の金子英夫先生と歴史を教えていた西山勤二先生がだいぶ応援してくれて、ようやく2年になれたのです。” | ||
| 朋友会の祝賀会では故・金子先生の奥様に花束を贈られましたが… |
“金子先生には僕は随分お世話になり、感謝しておりますんでね。” (注)入院中に担任の金子先生が持ってきてくれた「物理学はいかに創られたか」という本が小柴さんと物理学との最初の出合い、ひいてはノーベル賞受賞への第一歩になったそうです。 |
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| ◎躾は小さい時に… |
| 当時と今の生徒の違いは? |
| “現在の若者たちとの接触は余りありませんが、ここに入ってくる学生はごく一部で、また孫みたいなものです。今時の若い人はと言われても私にはちょっと見当がつかないですよ。” “ただ、見聞きしているとね、家庭の教育というのが随分昔と違うのかなという感じがしますね。 例えば、昔は、二つ三つの子供がいけないことをしたといったら、お尻をぴしゃぴしゃ叩いたりしました。それは当たり前の事でしたね。それが子供への虐待などと考えたらだめだね。最近は子供に痛い思いをさせると言うことはあんまりしないようですね。やるといけないことだというように考えられているらしい。だけど、これはね、ちょっとおかしいなと思います。” “躾の問題ですが、2,3才の頃 物心つく頃に、これはやってはいけないことなんだと言う事を身体に覚えさせた方が良いんだろうという気がしますけどね。私の考え方が古臭いのかもしれないけれど。” |
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| ドイツ人の躾で日本人が見習うことが多いと聞きますが… |
| “ドイツの電車のなかにいると若者が膝を組んで座っていて年寄りがたっていることはありえない。そういう点でも躾がちゃんとしている。” “日本の昔は、基本的な人間社会の付き合いの仕方というのがあったと思うんです。だけど最近見る限りでは、もう自分さえ良ければ良いという印象を受けますね。” “昔、近所の子供が何人か集まると必ずガキ大将がいて、ガキ大将に色んなことを躾けられたものですよ。” “中学生とかその位の年の人をドイツの家庭に1ヶ月とか2ヶ月くらいステイさせるとか、そういう交換みたいなものをやると、少しずつ良い影響がでるかも知れませんね。 自分が日本にいて、周りの同じ年頃の人間が自分と同じように好き勝手なことをやっていると気が付かないですよ。ドイツに行って自分と同じ年頃の人がこういう風に振舞っているというのを実際に見聞きすると、やはり自分でも考えるのではないのでしょうか。” |
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| ◎教育は若いうち… |
| 現在の教育は? |
| “感ずることは、詰め込み教育はいけないと良く言うのですが、これは程度問題だと思いますね。私の経験から言っても小学校時代、あるいは中学時代、人間として記憶力が一番鋭敏な時期で、この時期に物を覚えるのは、ちっとも苦痛ではないんですね、スーッと入っていくんです。 それが掛け算の九九であるかも知れないし、あるいは数学の公式であるかも知れないし、あるいは外国語であるかも知れない。外国語と言うのは、私のように20代の終わり頃になって英語社会に飛びこんだ場合、一生身につかない。10代で英語社会に飛び込んだ人は本当に身につくんです。そういった意味でも僕はある程度のいわゆる詰め込み教育っていうのは、やるべきであると思います。それを禁止するのが、結局その生徒に対して損だと思いますね。” |
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| ◎本当にやりたいことを自分でみつけよう! |
| ものが豊富な環境の中での子供たちは… |
| “子供たちが、自分が何をやりたいのかということが、見つからないのではという気がしますね。” “何でも周りにある。ゲームでも何でもね…。だけども僕は一体何をやりたいのかと、これをね見つける為にはね〜、自分で色んな事を試してやって見なければ…。 果たしてそれを気に入るどうか自分で判んないですからね。 ところが今の子供を見てみると、自分で色々な新しいことをやってみないで、僕、何をしたら良いのだろうと、全く頭の中で迷ってしまってるように受け取れるのですよね。” “学校の先生も、子供たちが自分で取り組むという様なことを考えてやったら良いんじゃないかと思いますね。” “本当にやりたいことを自分でみつけなくては…” |
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| ◎同級生からみた中学時代… |
32期会の代表幹事である船津英裕さんは、中学時代の小柴さんについて次のように語ってくれた。
『小柴は、授業は途中で帰ることもあったけれど、休むことはなかったですね。 また奥様も、『初めてお目にかかったのは、たしか小柴さんが30代だと思いますが、ちょっと変わった魅力がある方という印象でした。幾度かお目にかかっているうち、若いころの苦労話や外国の女性にもてて、もててという面白い話しを、いろいろ聞かせていただきました。』…と当時のことを思い出しながら語ってくれた。 また、横中32期会発行の「思い出の記」に、小柴さんの授業中の様子を、横田嘉昭さんは「小柴・カルチャーショック」と題して次のように記しています。 横中入学以来、同じ組になったことはなかったが、「小柴昌俊君は、頭は良いが、変わっていると」という噂を聞いていた。読者の皆様はお2人のコメントから、どのような小柴さんを想像なさいますか? |
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| ◎取材後記 |
失礼ながら、もう少し広い部屋でゆったりされていると思っていましたが、案に相違してこじんまりとした、実験室のようなお部屋で、ボロ・タイ姿で、私たちを迎え入れてくれました。取材中も、63年間、愛煙しているというゴールデンバッドに何度も火をつけて(今でも1日25本くらいお吸いになるとのこと)、インタビューに答えてくれました。 ![]() 実験装置の傍らには “気付け薬のようなもの” と仰るコーヒーカップを置いて、お仕事をされている、生涯現役の小柴さんでありました。 ただ、大変タイトなスケジュールのためか、ややお疲れのご様子…。(口数も少なかった) 一日も早く、通常の生活に戻り、体調を整えて祝賀会の時に疋田校長がお願いした、“母校の生徒の前でお話いただく” 機会が早期に実現できることを願って、お部屋を後にしました。 最後になりますが、記事作成にあたり色々ご協力戴きました、同期の船津様、長南様、柳田様に厚く御礼申し上げます。 |
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| (注)2003/1/13開催の朋友会・小柴昌俊先生ノーベル物理学賞受賞祝賀会の模様はこちらをクリックしてください。 |